私が初めて作詞・作曲をした作品となります。
当時23歳。
壊れそうになった若い夫婦の愛が、なんとか続く事を祈って書いた作品です。
その若い夫婦は19歳と16歳で結ばれ、二人の子供を育てながら
ギリギリの生活をしているさなかでした。
二人はこの曲に応えようと愛を続ける努力を20年以上して下さった。
しっかりと『愛』に成ったと思います。
ですがやがてその愛は終わり、数年後旦那様は亡くなってしまいました。
私の親友でした。
亡くなる少し前にその親友から届いたメール。
『darlingは大好きだった。でもな、どれ程俺がこの曲に苦しめられたと思う?』
絶交。
その後亡くなってしまったわけですが
私はそれから数年、この曲を数年歌えなくなってしまいました。
久しぶりに歌えたのが我が母校『常陸Livegarage小川屋』で。
その日聞いてくれた女の子が、お付き合いしている彼氏との境遇を重ねてくれたのでしょう。
同じ様な壊れそうな愛を踏ん張り、縁が結ばれ、今では立派な愛を育んでくれています。
同じ様に続いてくれる女の子もいました。
私の心はその様な僅かな縁の繰り返しに救われ、この歌を歌い続ける事が出来る様になりました。
ずっと、私にとって罪深き哀しい歌となっていましたが、新たに聞いてくれる友達やお客様が
そのイメージを拭い去ってくれたのです。
私の中にあった『哀しい砂時計』を、逆さまに置き直してくれた。
幸せを刻む砂時計に変えて下さいました。
私は、救って頂いたこのラブソングを、ずっと歌ってゆきます。
君にも聞いて欲しいな。
長いエピソードを、最後まで読んでくれてありがとう。
中村
コメント